第4回 私は自分の仕事が大好き大賞 開催報告
- 開催情報 -
2016年10月18日(火)
11:00 開場 / 12:00 開演 / 17:30 終了
パシフィコ横浜( 会場WEBサイト ) ( GoogleMapで場所を確認 )
2,000人
4社
3団体
126口
21社
- 出演者 -
株式会社ル・ジャルダンアカデミー
理容師から美容師へと転職後、月間平均指名数300人という驚異の数字のサロンワークと併用して、撮影活動、講師活動、訪問美容、医療美容、コンテスト審査員、執筆活動などに力を注ぎ、アメブロ、フェイスブックを通じてその熱い思いを世間に発信中!書籍『涙のシャンプー』『20代の働く君に贈る大切なこと』にて執筆。テレビ『嗚呼、バラ色の珍生』『いいはなシーサー』出演。
医療法人良陽会 鶴田歯科医院
初めて就職した会社は半年持たずに退職。そのまま、高校時代からアルバイトしていたマクドナルドへ舞い戻り、何も考えていなかった私。ある日ちゃんと就職したほうがいいぞと、マネージャーが言うままに入った歯科医院で私は予想外に大きく成長することができました。勤続14年目。結婚し、4人の子育てをしながら、デンタルカウンセラー、院長室秘書、20人の社員のチーフとして、仕事の楽しさを毎日実感しています。そしてその裏には、仲間の「愛」があふれています。
日本郵便株式会社
日本郵便で勤務して25年。郵便局が郵政省の管轄で公務員として働き始めた私。当時の私は郵便局の窓口業務担当にも関わらず『接客嫌い』で、しかも日本一クレームが多い職員でした。しかし、ある出来事をキッカケに自分の仕事の価値に気づき、働き方が180度変わりました。今は、毎日郵便局の窓口に立つのが楽しくてたまりません。今回のスピーチで、全ての人の【働き方】が変わるー私はそんなキッカケになりたいです。
株式会社てっぺん
本当は人が大好きなのに、嫌われるのが怖くて人と逢うのをずっと避けて生きてきた。精神治療を終えて退院した後、憧れのてっぺんに就職。なのにどうしてもうまくできない。でも、3ヶ月もお店に出勤できなかった私を、ずっと支え続けてくれた会社の仲間たちがいた。もう一度人を大好きになりたいと、店長に就任。その大きなプレッシャーで自信を無くしかけた時、一人の人間として私を必要としてくれたのも会社や仲間だった。
古武術活法院ちはやふる
目の難病を持って弱視として生まれた。幼少期の様々な経験を経て、視覚障害者でも働けるように鍼灸マッサージ・訪問治療などの仕事に従事。その中で日本古来より伝わる活法(かっぽう)という調整術と出会い、その発想の面白さと技術の卓越さに感動し魅了された。治療院開業後、視覚障害の世界を更により良いものにするために、活心会という活法の勉強会を立ち上げる。現在は心に光を灯す活法家として活動中。
- 6人のスペシャルコメンテーター -
1973年日本IBM入社、94年CS担当。お客様重視の仕組み作りと意識改革に専念。2000年4月に退職し「人と経営研究所」を設立、所長に就任。人と経営のあるべき姿を探求。わかりやすい相手の立場に立った説明により、指導・講演依頼が殺到している。企業はもとより医療、自治体、教育関連からの要請も多く、東奔西走の日々を送っている。
事業家である父親の影響もあり、10歳の時から起業したいと志す。小売業時代、アパレル販売で20人分の売上を達成。外資系コンサルティングファームで売れっ子コンサルタントに。仲間3人でITベンチャー創業、設立5年で年商14億円を達成する。現在は講演活動のほか、「伝説のホテル」という新しい夢に向かって邁進中!『10歳から起業すると決めていた』『夢の設計図の描き方』など、著書多数。
夢は「お菓子を通じて世界中を夢でいっぱいにすること」。パティシエ、経営者、そして教育者として、一人一人の可能性を信じ心のスイッチを入れていくチームビルディングと、「夢ケーキ」という突拍子もない取り組みの裏にある「ブレない軸のある経営」が、菓子業界のみならず多方面の各業界から注目を集めている。小中高校では、道徳や夢を実現するための、子どもと大人のキャリア教育なども積極的に行っている。
元男性でありながら、女性として【中学時代の同級生と結婚】をして「普通の女性の幸せ」を手に入れる。現在は有名企業の社員研修にてコミュニケーションの講師として活躍。また早稲田大学を始めとする数々の有名大学でも教鞭をとり「また会いたい人になる方法」や「楽しく仕事をする方法」などを伝えている。多くの生徒から人気を集め「来年も聞きたい講義No.1」に選ばれる。
「てっぺん」という店名には、同氏が10歳の時に亡くなった警察官をしていた親父に一番近くである「てっぺん」で自分が成長した姿を見てもらいたいという思いが込められている。てっぺん独自の「公開朝礼」は年間に約1万人以上、海外からも多くの方が見学に訪れるほどの反響。現在は、全国での講演活動のほか、居酒屋甲子園の理事長なので知られている。
プリンスホテルスクール(現:日本ホテルスクール)第一期卒業後、渡米。NYスタットラーヒルトン、NYプラザホテル、SFフェアモントホテルなどでの勤務を経て1990年にザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコの開業に携わる。1994年、日本支社長に就任。2009年9月にザ・リッツ・カールトン・ホテルを退職し、同年11月に「人とホスピタリティ研究所」を立ち上げる。主な著書に『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』(かんき出版)などがある。
- 特別審査員6名 -
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